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【許可より謝罪】合議制を撤廃することで見えてくるもの

2018/12/27
こんにちは。
Catallaxy編集部のHです。
はじめてのスタートアップ企業での仕事。
スタートアップ文化、そして弊社であるCatallaxyの文化に触れて、
カルチャーショックを受けつつも、日々旅をするような新鮮な気持ちでいます。

そんな見習いの立場から、弊社の文化をご紹介したいと思います。


許可より謝罪



「許可より謝罪」
これが弊社の方針です。
代表の大石はこのように言います。
「お客さんを喜ばせるつもりであることが第一です。
お客さんを喜ばせるつもりで独断で行動した人は勇者であるとリスペクトしましょう。
失敗しても、許可より謝罪の心を持ちましょう」

失敗を恐れて行動しないよりも、まず行動。たとえ失敗したとしても謝罪の心を持ち、前に進む方が良いということだと思います。
この考え方に強く賛同します。


合議制の弊害



これまで、弊社で仕事をする前に、フリーランスで取引していた時のことです。
ある案件で、合意を得るのに、長期間にわたる会議と長時間の議論が必要で、大変な時間がかかったことがありました。
しかも、その企業の役員の方が揃うのに日程を合わせる必要があったために、次の会議が開かれるまでも時間を要したのです。
そんなことをしている間に、刻々と変わる時流に乗れず、案件が腐ってしまうと、残念に思っていたのです。
仕事内容の精度を上げるのに、多くの目を通した方がいいことがあります。
しかし、それ以外の何かを決める時に、合意形成を待つのは、良い結果をうむとも限りません。
物事を決めるときに、必要以上に会議を重ねるのは、責任・判断の分散に他ならないからです。
結果として、ないかもしれないリスクを回避する代わりに、多くの機会を損失しました。
いったい何を恐れていたのでしょう。
今思っても、完全に無駄な時間でした。
合議制が無駄だということが骨身にしみ、手痛い教訓となったのです。


全員に裁量があるということ



「許可より謝罪」は、これらの形骸化したシステムの弊害を打破できる、実に素晴らしい文化だと思います。
業務の進み方が、圧倒的に早くなります。
仕事にとって大事な要素である「タイミング」を逃しにくくなるでしょう。
もちろん自己裁量が増える分だけ、責任が増えます。
しかし、端的にいえば、自分の人生だって、結局自分のものであり、自分の意のままになる自由なもの、責任を伴うものです。
弊社は、トップダウン制でも、合議制でもありません。
全員に裁量があり、自分の判断で行動ができます。
そして、自己裁量である限りにおいて、自主性が尊重されます。
自主性は個人の持つポテンシャルを最大限に引き出してくれます。
自分の責任ではないという言い逃れはできません。
個人の力が最大限に発揮され、個人と個人が結びつき、組織になる時、
弊社では、力強くも、フラットな協業が可能になるのです。



ほかにも、さまざまな弊社の文化がありますので、今後少しずつご紹介していければと思います。