Catallaxy Blog

『人口減少時代の都市』を読んでみた。

2019/02/18
こんにちは。
いつもお世話になっております。
Catallaxy編集部です。

今日は、以下の本の「読書感想文」を投稿してみたいと思います。
若い頃はあまり興味を持てなかった「読書感想文」ですが、大人になるとその大切さに気づきますね。
今回は、諸富徹『人口減少時代の都市』(中公新書)の「読書感想文」をお届けします。


日本の人口はどんどん減るらしい



ぼんやりとツイッターを眺めていると、真っ青な日本地図のなかに東京や千葉など関東圏と、あとは熊本だろうか、かろうじてかすかに赤い部分が見える、そんな画像を見つけた。
どうやらこの図は2015年から2045年にかけての人口増減の推移をあらわしているという。青は減少、赤は増加。約30年後、ほとんどの地域で人口は減少するってことか。とっぷりと青い海に飲み込まれ、なんとなく「日本沈没」というイメージが浮かぶ。そしてそれはなんだか少し暗くかなしい気持ちを起こさせる。増えてビバ、やれ増えてハッピーということでは一概にないけれど、「減少」が青色というのは、なんだか示唆的だ。


人口減少は、出生率の大幅な上昇や移民政策の大転換が起きない限り、確実にやってくる未来である(まえがき)


『人口減少時代の都市』のまえがきである。人口、やっぱりこれからどんどん減るんだ。
日本の総人口のピークは2008年の1億2800万人。ということを、もちろん普段あまり意識することはないけれど、確実に人口増加のピークは過ぎつつある。気になって調べてみると2019年1月1日の概算人口は1億2632万人。自分にとっては想像もできないような、抱えきれない大きな数字であることに変わりはないけれど、10年前からみると168万人減っている。と書いてみて、なかなか「これは大変なことだ…」とも思えないのがなんだか他人事ではあるけれど、私は、いや私たちは人口減少を憂うべきなのだろうか。

どうやら本書によれば、人口減少は悲しむべきことでもないらしい。だって、人が減って空間的にゆとりが生まれれば、今よりももっと広い部屋に移り住んで、もしかしたら庭付きで、そんな風に生活の質向上をのぞむことが今度こそ、できるんだよ?と筆者はいう。
どのまちにも、大きな公園を作ったりして。それは素敵だなあ、と言われてみれば思ったりもする。

だからこそ、成熟型のまちづくり



人口減少時代の都市にとってまさにこれから大切なのは、インフラなどの社会資本、ではなく社会関係資本なのだという。物質による豊かさは飽和し、人口減少時代ともなるとこれ以上モノは必要ない。求められるのは非物質的な、知的な営為のなかでそれぞれが豊かな関係性を保ち続けられること、なのだろう。なんだかそんなこと、偉そうに自分で書いていて白々しいけれど、つまりはそこに残っているみんなで知恵を出し合って、得意なこととかやりたいこととか、できるような環境づくりを、自治体とともに考えながら、仲良く、そう仲良くみんなでやっていきましょう!ということなのだ。それこそが、筆者の掲げる、次世代の「成熟型のまちづくり」である。

私も地方都市の一住民。次代のまちづくりの担い手でもあるのだ。他人事ではないのだぞ。そんな気概をもって町を眺めれば、ああこれが郊外都市、ロードサイドの現状である。

中心市街地という好立地に、立派なアーケード街があるにもかかわらず、郊外のショッピングセンターとの競争に敗れたシャッター通りの広がる姿が、地方都市で見慣れた光景となっている。(p.100)


ここを読んで、ある小説の一節を思い出す。

大河のようにどこまでもつづく幹線道路、行列をなした車は時折りブレーキランプを一斉に赤く光らせ、道の両サイドにはライトアップされたチェーン店の、巨大看板が延々と連なる。ブックオフ、 ハードオフ、モードオフ、TSUTAYAとワンセットになった書店、東京靴流通センター、洋服の青山、紳士服はるやま、ユニクロ、しまむら、西松屋、スタジオアリス、ゲオ、ダイソー、ニトリ、コメリ、コジマ、ココス、ガスト、ビッグボーイ、ドン・キホーテ、マクドナルド、スターバックス、マックスバリュ、パチンコ屋、スーパー銭湯、アピタ、そしてイオンモール。(山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』)


地方都市に住んでいたことがあれば、いやなくとも通ったことがあれば誰しも想起することができる、なんというこの圧倒的リアリティ。ああそれは私の知ってるあそこのことだと思えるのは、まさにどこもその通りに「同じ」であるから。無個性化された、いわゆるロードサイドといって容易に想像できてしまうこれはかなしさで、これが日本のいたるところにもう本当にどこにでもある、地方都市の姿である。

こんなふうにイオンモールこそがその町のすべて、というこの現状をどうやって打破してゆけばよいのだろう。筆者は、成熟型のまちづくりには時間がかかるという。

だからこれからどうしてゆくの?



日本の都市に求められるのは、(…)短期決戦で強力に都市構造をコンパクト型に変えてしまう『外科手術』ではなく、漢方薬を効かせることで、三〇年から場合によっては半世紀くけて、都市構造を無理なくコンパクト型に変えていく方策であろう。(p.113)

公共交通機関の充実、中心市街地の活性化、けれど商業は民間の力を借りること。そして中心市街地と交通機関沿線の多極化。中心市街地へ容易にアクセスできれば、一極集中を防ぐことができる。住む場所を、文化を自分で「選べる」ということがキーであるように思う。

求められるのは、人口減少をむしろチャンスととらえ、『この機会をまちづくりにとってプラスに転化するにはどうすべきか』という発想である。」(p.191)


うーむ、と深く頷く。
しかし私はどうしても東京にしかないアレコレに目がいってしまう。けれどこの地方都市にいて、おそらくこれからも住み続けて、他人事としかし本当は自分ごとであるという溝にすっぽりはまって出てこられない。

先ほどの、タイムライン上に回ってきたあの青い日本地図を思い出す。2045年にも人口が増加し続けているという、東京や埼玉などのわずかにチラつく赤い部分がなんだか傷のようにも見えてくる。増えても減っても、どこにいても、自分で生活を「選べる」まちであればいいなと思う。他人事のようで、他人事ではない、東京にいても、地方にいてもどこにいても本当は、そうなのだ。