Catallaxy Blog

『スマート・ジャパンへの提言』を読んでみた。

2019/01/08
こんにちは。
いつもお世話になっております。
Catallaxy編集部です。

今日は、以下の本の「読書感想文」を投稿してみたいと思います。
若い頃はあまり興味を持てなかった「読書感想文」ですが、大人になるとその大切さに気づきますね。

ということで、ジェレミー・リフキン著『スマート・ジャパンへの提言ーー日本は限界費用ゼロ社会へ備えよ』の「読書感想文」をお届けします。

日本は岐路に立たされているらしい


さあ今こそが日本の岐路、と言われてもあまりピンとはこない。第2次産業革命によってわたしたちは、豊かさを手に入れた。あらゆるモノに囲まれて、不便なことは何一つない。なんなら新しいスマホがほしい。ルンバもほしい。けれどこの停滞感はなんだろう。わたしたちは3.11以降も稼働しつづける原発のことを、なんとなく「そういうもの」として認めている。たび重なる自然災害に、ただ驚いて、心を痛めている。そしてそれは、半分自分には、自分たちにはもはやいかんともしがたいことであると思って生きている。明日の生活に、直接かかわることではないのだもの。ジェレミー・リフキン氏は現在の日本に対して、こう述べる。

もし日本が旧来のコミュニケーション・テクノロジーやエネルギー様式、輸送/ロジティクスから抜け出せず、汚染を撒き散らし持続不可能な20世紀のビジネスモデルを続けるなら、その将来の展望は暗いものになるでしょう。実際、日本は急速に零落して、今後30年のうちに二流の経済に成り下がるかもしれません。 (p.33)


そうなのかもしれない。きっとそうなのだろうな。世界では持続可能な社会、であろうということが今、もはやスローガンのようにいたるところで言われている(ように思う)。しかしわたしが生きて死ぬまでの間はおそらく、なんとかなるだろうとも思っている。だからまあいいか。わたしが何か行動して世界が変わる、ということでもないだろうし。リフキン氏はこうつづける。

ですが、日本がもし時を移さず企業家精神を発揮し、エンジニアリングの専門技術を動員し、それに劣らず潤沢な文化的資産ー効率化への情熱や非常に意欲の高い未来志向ーを生かせれば、限界費用ゼロ社会へと世界を牽引し、より平等で豊かな、環境的にも持続可能な時代をつくり出すための貢献ができるはずです。(p.33)


持続不可能な社会から持続可能な社会へ


持続可能であることは、未来の世の中にとってやはり大切なことらしい。いわく、これまでの産業は石油や石炭などの資源をエネルギーとして発展してきたけれど、言わずもがな天然資源は有限だ。ドイツなどはリフキン氏の提言に従って早くも再生可能エネルギーを用いたスマートでグリーンな次なる産業革命への歩みを進めているという(そして、これこそがリフキン氏の言う第3次産業革命だ)。これに対して、日本はまだこれからどうしていこうかという状態だという。ほんとうに、日本はこれからどうしていくんだろう。そして、わたしはなぜ、こんなにも他人事なのだろう!そしてこのリフキン氏は、なぜこんなに他国に対して親切にアドバイスをしてくれるのだろうーー。

たんに生産性でなく、再生力にこそもっと焦点を合わせなければなりません。あらゆるコミュニティは、上は成層圏から足元の地表にまで広がる19キロメートルに及ぶ生物圏に対して、責任を負わなければなりません。次世代のために、その生物圏の自分たちの持ち分については、地球を再生してしっかり管理することに心血を注がなければなりません。(p.220)


そのために、 これからわれわれが目指すべきなのが「限界費用ゼロ社会」であるのだと。生産量にたいしてかかるコストが、限りなくゼロに近いものであること。そのためには太陽光などの再生可能エネルギーを、そしてデジタル化によってさらにIoTの世界が進むことこそが、これからの持続可能な世界のあり方なのだ(リフキンによれば)。

おわりに


喫茶店でこの本を読み終えて、夕暮れ前の冬の風を受けながら自転車を漕ぐ。これからどうなっていくんだろう、どうやって生きていくんだろう、引き裂かれそうな平行軸のなかで行ったり来たりなのか、というこれは諦念ではないのだけれどそれに似た何かを飲み込んでしかし飲み込みきれない。いや、しかし。なるほど、さきほどの引用が思い起こされる。

あらゆるコミュニティは、生物圏に対して責任を追うこと」、「自分たちの持ち分については地球を再生して管理すること


ーーリフキン氏の提言とはつまり、次世代への倫理的な生のあり方に根ざしたものであるということなのだ。みんなでこの世界を生きていくためにはこの道なのだという、シンプルだけれど、だからこそこんなにも力強い提言に、耳を塞いではいられない。

何を、どうやって、の前にまずなぜ、これから「限界費用ゼロ社会」なのかをリフキン氏は問うている。持続可能性という観点から見た、そしてそのためのシェアリングエコノミーである。IoTである。第2次産業革命で得た豊かさにはありがとうと言いながら、しかしこの世界のあらゆる資源は有限なのだった(気づいていたはずなのに!)

「これぐらいのことなら誰でも言える」と書かれたAmazonレビューを虚しく見つめながら、そんなことはないと強く思う。

リフキン氏の提言は、理想郷を指すのではない。資本主義のどん詰まり、自転車操業というどうしようもないつねに息切れの、しかし、それでも止まることのできないしんどさのうちに、生きているわれわれに対しての、まっすぐな善のまなざしであるのだ。